フランケンシュタインの恋 感想

今回、研さんが初めて言葉の中にある真意を自分で理解し、表現したことがとても印象的でした。

今まで研さんが言葉を理解する時、そこに自分の解釈はなく、単純に「◯◯=△△」という言葉の繋がりを暗記していたように思います。

謝ること は、許してもらうためではなく罰を与えてもらうため。

恋 は、大事な人に生きて欲しいと思う気持ちを持ち、人間らしい心で在るため。

それが必要な行為だと純粋に信じ、それを伝えることで継実や周りの人へその人なりの答えを考えさせる。

 

今回、嘘は悪意だけでなく大事な人を思い遣るために必要だということを覚えた訳ですが、それだけではありませんでした。

騙す為につかれた嘘だったけれども、何度も繰り返された「ありがとうございます」には嘘がなかったこと。

もっともらしく愛情を騙る言葉には真実はなく、だからこそ「ありがとうございます」を求めたこと。

言葉の内側にあるものを感じ取ったことは、彼が人間になるための進化をした瞬間だったんじゃないかと感じます。

 

毎回、丁寧に、まっさらな気持ちでこのドラマを見ています。

純粋無垢な化け物とまっすぐに生きようとする女の子とのひたむきな恋、それを見守る人間の物語。

残念ですが、あまり視聴率が良くないようです。

毎日生活をこなしていく中で、人を想う気持ちはどんな風に生まれてくるのか、そんなこと今更言わなくとも分かっているつもりだし、目まぐるしく過ぎていく日常で振り返ることすら億劫になる。

考えることは疲れるから、分かりやすくて刺激的で、すぐ消費できる娯楽があればそれで良いと大多数の人は思うのかもしれません。

実際自分自身、忙しい、忙しい、と思っている毎日の中で、そう思う瞬間は多々あります。

 でもやっぱり心の深いところはどこか満たされない。

 

僕は人間じゃないんです 本当にごめんなさい

僕も人間でいいんですか ねえ誰か教えてよ

 

棒人間という曲のこのフレーズ。

人間が人間としてあるとはどういうことかと問いかける脚本。

それが核にあるから、明確な意思を持った物語として語りかけ、心の深く満たされない部分がじんわりと絶えず揺さぶられます。

規則正しく人間生活をすることで、本当に人間になっているのかな。

より良く正しく人間として生きる意味って、なんなんだろう。

消費するだけの娯楽ではなく、ずっと大事に側に持っていたいと思う作品に出会えたこと、それを制作してくれていることに感謝しています。

プロデューサーに名を連ねている河野さんは12年前野ブタのプロデューサーをされていた方で、脚本こそ違えど心を満たす作品をまた作ってくださったんだなと嬉しく思います。